HENRI LLOYD HISTORY |
1963 |
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ポーランドよりイギリスへ移住し衣料品会社に勤務していたヘンリー・ストレツキが、当時の最先端素材のナイロン生地に大きな可能性を見いだしマンチェスターにヘンリーロイド社を創業。自身がセイラーであったストレツキは、防水コーティングのナイロン素材に最新技術である縫い目の防水テープ処理を施した画期的なセーリングウェアを開発するなど、マリンウェアに革新をもたらす。 |
1967 |
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ウェア提供を行っていたフランシス・チチェスター卿がイギリス南部を出港してオーストラリア・シドニーへ寄港。そしてホーン岬を越えて再び英国に帰ってくるヨットでの単独世界一周を成し遂げる。 |
1969 |
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ウェア提供を行っていたロビン・ノックス・ジョンストン卿が世界で初めてヨットによる単独無寄港世界一周に成功する。 |
1979 |
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北極と南極の二つの極を通過する縦回り世界一周「トランスグローブ エクスエクスペディション」にウェア協力。 |
1984 |
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1980年代イタリア・ミラノの流行ブランドで身をかためた若者たち「パニラニ」の間でヘンリーロイドが評判となる。この年ミラノ・スクーター協会の制服に、フランシス・チチェスター卿が世界一周を成し遂げた時に着用したマリンウェア「コンソート・オリジナル」が採用され、ファッションの世界にも注目を浴びる。 |
1985 |
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ストレツキが英国女王エリザベス二世から大英帝国勲章を受勲される。 |
1987 |
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アメリカスカップの「スターズ&ストライプス」にウェアを供給。「スターズ&ストライプス」はアメリカスカップを獲得。 |
1989 |
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ウィットブレッド世界一周ヨットレース(現ボルボオーシャンレース)に初の女性だけのチームとして参加した「メイデン」にウェアを提供。 |
1995 |
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22,000時間に及ぶテストを経て、ゴアテックスを使用したマリンウェアを世界で初めて製品化。 |
1996 |
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オリンピック四大会連続で金メダルを獲得することとなるオリンピックセイラー「ベン・エインズリ」とパートナーシップ契約を結ぶ。 |
2004 |
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第32回アメリカスカップに挑戦したBMWオラクルレーシングをテクニカルパートナーとしてサポート。 |
2006 |
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単独世界一周ヨットレース「5オーシャンズ」に挑戦したロビン・ノックス・ジョンストン卿をサポート。37年を経た後の彼の記録破りの挑戦を支え、見事完走に導く。 |
2009 |
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世界最速を競う自動車レース・フォーミュラ1のブラウンGPのスポンサーにいち早く名乗りを上げる。ブラウンGPはこの年コンストラクターズタイトルを獲得し、所属するレーサー「ジェンソン・バトン」はワールドチャンピオンに輝く。 |
2010 |
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再生素材を活用した「ブルーエコプログラム」を始動。セーリングアパレルで世界初の循環型リサイクルシステムを推進。 |